依存症は否認の病?
昨日の自分が書いたことをあらためて読んでみて思いました。
自分って、やっぱり、「自分がお酒をやめたのは、飲酒に問題があったから(=特別だから)、とはたぶん思いたくないんだなあ」って。

でも、それでいいとします001.gif

問題があったろうとなかろうと、
今、こうして不飲生活を送っていることにこそ意義があるんだ、と思っています。

過去のことをあれこれ考えるより、大切なのは、今、そして未来ってことで。
くよくよ考えて後悔している暇があったら、今日も明日も明るく、ノンアルコールデイをすごすこと!まずはそこから始めるほうが、ずっと意味があるさ。

逆に言えば、アルコールに影響されるのは、大なり小なり、飲酒するすべての人々にあてはまること。アレンカー氏のおっしゃるように、すべての人が同じ穴に落ち込んでいっているということではないかと思います。
その影響が大きかったため、周囲の人々を傷つけたり迷惑をかけたりした人もいるでしょうし、大して外への影響はなくとも、お酒を飲み続ける自分がいやだというだけの人もいるでしょう。だけど、その大小によってお酒をやめるやめないが決まっているわけではありません。
あくまで個人の選択だと思っています。

そこで、「アルコール依存症は否認の病」という言葉です。
よくいわれますけど、ここでふと立ち止まってみたいと思います。

実際には、否認せず認めているのに、お酒をやめたくてもやめられない人がなんと多いことか。

病院に連れてこられた依存症患者が、自分はアル中じゃない、って否認し続ける・・・っていいますけれど、それは、自分のことが分からぬうちに、納得しないうちに、連れられて受診した、すなわち自主的に受診したわけではないからじゃないでしょうか。
それに、世間の風当たりが強いことを恐れて、表向きは否定している人も多いと思います。
「アルコール依存症は否認の病」、というよりは、
「少なくとも否認しているうちは依存症は治らない」
と言い直したほうがわかりやすいかも。

本当はお酒を飲みたい、と思ってる人が、短期間お酒をやめてみて、
「やっぱり自分は依存症じゃないかも」と思ってまたお酒を飲むのは、不思議でもなんでもないと思います。
本当は飲みたいんだけれど、周囲に迷惑をかけるから、という理由でやめている人も、いつか自分の中に「飲みたくない」という気持ちを自主的に育てなければ、飲まないことは苦しみ・欲求不満以外の何者でもないと思う。それは苦しすぎると思います。
幸せな不飲生活なんて、おくれないでしょう。

でも、人には幸せになる道が、誰にでも必ず存在していると思うのです。
この毒を飲むのをやめようかな?と思えれば見えてくる、その道への扉。
一見、閉ざされているかのようですが、鍵は開いてるはずです。
その扉を開く力さえ、残しておけばいいのです。

そして、その扉は、内開きです。
なぜなら、その扉にそっと手をかけた瞬間、
明るい未来の光が、扉をこちら側へ押し開いてくれるからです。

自分は今、その扉をついに開こうとしているんだなあ、と実感しています。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 心地よい暮らしへ
にほんブログ村にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村
[PR]
by finnerake | 2011-03-30 23:29
<< 心くじけずに明るさを目指して 飲酒の夢再び >>


飲めない、ではなく、飲まない という選択をしました。 Copyright © 2013 今日からわたしは不飲主義, All rights reserved.
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
最新の記事
清々しい生き方に乾杯!
at 2013-11-06 05:39
3週間
at 2013-11-01 23:40
現在 難題に取り組み中
at 2013-10-24 07:15
夕べの夜景
at 2013-10-10 07:19
気持ちを明るくおおらかに保つ..
at 2013-09-25 06:40
以前の記事
メモ帳
検索
その他のジャンル
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧