2011年 03月 20日 ( 3 )
断酒と不飲
このブログのはじめから、「断酒」という言葉を使ってないわたくしaceですが、
決して断酒という言葉を否定しているわけではありません。
それどころか、
断酒会、AAを代表とする、断酒のためのさまざまなグループを、尊敬し、支持してます。
それに、わたしがやってること(不飲・フィンナーライフ)って、結局、断酒してる人々と同じことをやってるわけだし。

ただ、なぜだか、「断酒」って言葉が、自分は苦手なだけなんですの。
「断酒しろ!」とか言われると、反動で飲んじゃいそうなくらい。(コラ)
なぜかっていう理由を、告白しますね、今日は。

ここ最近15年くらいは、以前も書いたように、毎日夕食の支度をする時に飲み始める晩酌のビールくらいで、人に迷惑をかけたことはおそらくありません。
まあ、たまに、感情が高ぶって、だんなとたまーに大げんかしたくらいかな?
(向こうも飲んでのことなので、これはおあいこ、ですわねー)

ですが、ずっと昔、社会人になって先輩たちからていねいに(?)お酒というものを教わり、その後、自分の人生で信じられんことが勃発しまくったときには、このわたくしめも、
「わーーーーっ!!><」とばかりに、毎晩お酒に走ったことがございました。
それは、環境が変わるまで続いたんですけれどね。

そんなある日、年末に実家に帰って、例によってお酒を買って帰り、
その頃好んで飲んでいたアルコール度数高めの酎ハイをまず飲みまくり、
それでも「つらさ」も癒されず、もっと酔いたい、と、
今度は父のウイスキーセレクションに手をだし、高価なウイスキーを何本か空け(今言います、お父さんごめんなさい!!)、やっと酔いつぶれて眠り、
それで終わらず、こんどは激しい嘔吐でのたうちまわっていた時。
母に言われたんです。
「断酒しなさい!お酒を断ちなさい!一生飲んじゃだめ!飲んだら、私、死んだら化けて出るからね!どんなに隠れて飲んでも、だめ!化けて出てやる!」と、それはそれは恐ろしい顔で叫ばれたんです・・・( ゚∀゚;)

それから何年かは、私の顔を見るたびに、
「断酒してるんだろうね?」「お酒断ちしてるんだろうね?」と繰り返されたものです。

でも、自分でやめようって思ってないし、自分的には”必要を感じて”飲んでいたわけですから、もちろん、飲み続けてましたけどね、その頃は。

母は下戸で、ワイン一杯で眠りこけ、腰も立たなくなるほどですが、
わたしは幸い不幸にも、父の遺伝で、アルコール分解酵素が充実した身体。その頃は若かったこともあり、どんなに飲んでも最後まで意識がしっかりしていて、酔いつぶれた同僚や先輩をしっかりタクシーで送り届けたり、お会計も決して間違わないので重宝され(?)、毎晩、仕事が終わると、先輩たちに誘われて飲みに行ってました。

結局、お酒をやめる最近までは、実家でもビールを軽く飲んだりして、もう母はあきらめて、だんなに「よろしくおねがいします」なんていってましたけれどね。
ちなみに、私にはへんな意地があり、お酒を完全にやめたことを、まだ母には言ってません。たぶん、何年もしないと、言わないと思います。ほんと、変な意地ですね。
「お母さんや他人から言われたからやめたんじゃない。自分の選択だもの」っていう、見得?でしょうか?

話をもとにもどすと、
「断酒」っていう言葉、その響きは、あの時の母の顔を思い出させ、それゆえ、
「断酒を人から強制されてお酒を飲まない(本当は飲みたいのに)」
っていう風に、私の中の何かが受け取って反応しちゃうんですなあ。

というわけで、これは私だけの問題なんです。断酒ってことばが使えないのは。
それに、わたしは女性ですから、もっとおしゃれに行きたいなあ、なんて思って。

「私は、飲まない。なぜなら、心底、飲みたくないから。(きっぱり!!)スタイリッシュ、フィンナーライフばんざーい!053.gif
これが、わたしの不飲の合言葉です。
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by finnerake | 2011-03-20 23:09
頭痛は消える?(追記しました)
これを読んでくださってる皆さま、お久しぶりです。
自分、aceは、ここのところ、悲しいものばかりテレビで見続けて毎日笑顔がおろそかになってるなー。と反省しましたー。
心を寄り添わせようとするあまり、大切なことを忘れそうになってました。
それじゃまったく何の解決の足しにもなってませんね。
昨日まで続いた、なんとも重めの自分の記事をみて、なんだかな~と苦笑いでーす。
まあ、それも私なんで、しょうがないですけれどね!

今日は、うちの地域は、お天気がいい!!です。
不飲もだんだん板についてきました。
朝起きても、夕方いつものビールの時間になっても、
お酒のことは思い出すものの、絶対に飲むとは思えませんもん。
あと、ちょっと前のことを振り返りながら書いた、飲まない生活開始からの毎日の記録。
2週間以上続いた頭痛と鼻づまりのことを書きましたが、結論からいうと、
3週間目で、やっとほとんど消えました・・・っていうか、今のところなんですけれどね。
よかったー!!でもまだ出てくるかな?出てこないでね、ってとこです。

だから、これからお酒やめてみようかな?って方がいらしたら、
ご心配なく~001.gif
飲んだ日の夜中、あるいは翌日の
「また飲んじゃったかー自分~><」っていう後悔や失望に比べたら、
頭痛なんて、痛みやストレスのうちに入りませんもん。
必ず、いつかは消えるものだし!
私はたまたま3週間続きましたけれど、それってまったく飲んでた期間の長さや、人によると思います。

追記>
今、投稿を終えたところ、チェリーさんからいただいたコメントを発見。
つきましては、最初の「頭痛が消えた」のタイトルを「頭痛が消える?」に変更させていただき、さらに追記したいと思います。

えらそーに「頭痛が消えた」と先ほど書きましたが、
まだわかりません!わたしはまだ、十分な日数を経ておりません。
ですので、3週後からいったん消え、今もなくなってる頭痛は、また再発するかもしれません。考えて見れば、2週目のときも、そうでしたー。
それまでは、頭痛薬をやっぱり携えて、仕事に向かいたいと思います。
そのうち頭痛が消える日まで。

こうして、ブログで発信することで、自分も知識をいただいたり、助けてもらえたり。
やっぱり、ブログ村万歳です!

お互い、楽しくてステキなフィンナーライフをすごしましょう!
・・・って、フィンナーとか不飲っていってるの、私だけだけれど.
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by finnerake | 2011-03-20 23:06
ショックと現実と心
週末といっても、まだまだ非日常の感があります。
うちも、ずっとテレビで愛する国日本の動きを追っていますが、まだ心はあたふたした段階で、これからきっと、徐々に気持ちが実感にともなって変化していくのでしょう。

キューブラー-ロスという医学者が、「On Death and Dying」という本の中で唱えた、人間が死を受け入れていくまでの一般的な(例外もあるが)プロセス。
自分は色々な経験・理由から彼女の学説を支持するものですが、このプロセスはおそらく、人が、何か非常にショッキングな出来事に遭遇した時にも、当てはまるものではないかと思います。以下、自分の原訳と解釈をメモ。1から7まで、時系列に沿って。

1.ショック・ステージ:ショッキングな出来事、悪い知らせを受けて、凍りつく段階。
「・・・・・・・・・・!!!」
2.否認のステージ:ショックを受けた内容を、否定し認めようとしない段階。
「うそでしょ?」「そんなことありえない」「何かの間違いだ」「これはたぶん悪い夢だ」

3.怒りのステージ:ショックをうけた出来事に対するどうしようもない怒り。
「どうしてそんなことになるんだ!!」「○○が悪かったからだ!」「**のせいだ!」

4.駆け引きのステージ:なんとかして、それを回避しようとする、画策の段階。「こうしたら、避けられないだろうか?」「この方法でなんとかできないだろうか?」

5.落ち込み・鬱(うつ)のステージ:ショッキングな現実をとうとう悟り、あきらめ、落ち込み、絶望的な気持ちになったり何もできなくなったりする段階。
「やっぱりだめだ・・・」「もうだめだ・・・」「どうしようもない・・・」「絶望だ・・・」

6.試練のステージ:現実的な考え方、解決法を模索する段階。
「どうしようもないなりに、何かできないだろうか」「考え方をこう変えたらいいかもしれない・・・」

7.受け入れ・受容のステージ:自分の心にすべてを受け入れ、心静かに日々を送る段階。
「命ある限り、毎日を感謝して生きていこう」「どうしようもないのだから、あきらめて、だた静かに微笑んで生きていこう」「もう少しで天国に行ける」「今できることだけしていこう」「今日を生きよう」

(各ステージと注釈の一部は、On Death and Dying By Dr. Elisabeth Kübler-Ross, Simon & Schuster/Touchstone,1969から引用。「」内は自分の解釈)

自然災害など怒りのやり場のないことが起こっても、人は何かに対して怒りを発散させないと、精神的にもちこたえられないのかもしれません。
そして、すべての人々がみな、最終的な心静かにものごとを受け入れられるステージに到達するまでの十分な時間を与えられているとも限りません。
そんな中だからこそ、自分のまわりに、愛するものや仲間の温もりという名の助力が必要なのだろうと、自分は思っています。

自分に照らし合わせてかんがみるに---、
大きな悲しみ・苦しみ・困難を受けた時、ステージ4で立ち止まってしまっていたんじゃないか?と思う。というのも、ステージ4でなんとかしようともがき、画策するにあたって、結局のところ、「飲酒することでごまかす」「飲酒で感情を閉じ込める」という方法を取ってきてしまったのではないか、と。
その段階から、一歩も前に進まないまま、そこに長居させてしまうのが、お酒ではないか、と。
それじゃ、いつまでたっても、受容のステージには到達しなかったわけだ、と、今になって思う。
だけど、お酒をだらだらのみながらでも、心だけ、受容のステージに到達できることがありうる、それは、まだ良く分からないけれど、たぶん、何かの力。(人のぬくもり?助け?それとも??)
そして、心が最終ステージに到達して、穏やかになったとき、自分でも知らずに行っていたお酒による駆け引きが、人生における余計なもの、として感じられるのかもしれないし。

キューブラー-ロス博士の一言が、なぜか最近、心にしみます。
「私たち全員が学ばなければならないこととは、無償の愛です。しかもそれは、他人に対して向けられるものだけではなく、自分自身に対するものも含めて、です。」
(エリザベス・キューブラー-ロス財団のホームページより)
不飲生活、本格的になってきてます。
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by finnerake | 2011-03-20 06:23


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